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【ひまわり時代劇】大河ドラマ 秀吉

番組案内

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ひまわり11
放送スケジュール
(月)・(木)更新

© NHK

番組紹介

平均視聴率 30.5% の大ヒット作!

時は群雄割拠の戦国時代。天下統一は武将たちの見果てぬ夢だった。その夢を実現した男、豊臣秀吉。尾張の貧しい農民の子として生まれた秀吉が、織田信長の足軽から一国一城の主となり、ついには天下人にまで上りつめる出世物語を現代の視点から再解釈した“サラリーマン太閤記”。

出演

竹中直人、沢口靖子、市原悦子、高嶋政伸、村上弘明、有森也実、野際陽子、赤井英和、古谷一行、伊武雅刀、大仁田厚、渡辺徹、真田広之、西村雅彦、玉置浩二、財津一郎、仲代達矢、渡哲也 ほか

放送スケジュール 

★番組内容更新

都合により放送時間が変更になる場合があります。

あらすじ

第27回 三成登場

秀吉はふんどしひとつになり、能登七尾城主となった前田利家を祝って踊った。いじらしいほどに秀吉を慕う三成は迷わずに同じ姿となりともに踊るが、そのあまりにも大まじめな踊りに、周囲はうんざりしてしまう。その夜、はるか安土城の上空が不吉な赤色に染まるのが見えた。天下布武のためには僧をも殺す信長には、呪いの祈祷まで行われていて、秀吉は打ち消しながらも信長の前途を案じる。三成は情勢を探りに安土へ赴き、信長に認められて甲斐へ供をした。織田軍は甲斐で武田勝頼を滅ぼしたが、その陣幕で光秀は信長から「この甲斐との戦で、お前が何を働いた」と叱責され、鞭で打たれる。天正10(1582)年4月末、秀吉は高松城攻めにかかり、小寺官兵衛の策をいれて水攻めの作戦を決定した。そのためには400万俵もの土俵が必要だと、三成は即座に計算した。金と米でその莫大な量の土俵を買い集めると言い放つ秀吉に、「おやじ様は天下一の男」と三成は叫び、秀吉に殴られる。

第28回 高松城水攻め

天正10(1582)年5月、秀吉は銭と米で莫大な量の土俵を買い集め、高松城水攻めのための長い堤防を築いている。中国平定戦の要となるこの作戦に、信長は秀吉の活躍がうれしくてならない。それにひきかえ、光秀は家康の接待役を命じられ、吟味を尽くした能や料理も認められず、役を解かれ面目を失う。そのうえ、治政に励んできた丹波、近江、坂本の領地を召し上げ、代わりに、これから出陣するまだ毛利の領土である出雲、石見の2国を与えるとの命に、光秀は強い衝撃を受ける。宗易に信長へのとりなしを頼み、断られて心乱れる光秀を家康が訪ねてきた。家康はありもしない光秀の謀反を伝えた足利義昭の古い書状を見せ、巧みに光秀の動揺をあおる。高松城を取り囲む堤防が完成、とたんに豪雨となった。秀吉が「これで銭も無駄にならぬ、上げ潮じゃあ」と踊り上がっているころ、坂本城の光秀に妻のひろ子が「信長様はしばらく本能寺にご滞在、お供はわずか100名足らず…」とささやく。

第29回 敵は本能寺

毛利の領国・備中の要衡ある高松城を水攻めにされ、毛利輝元は秀吉に和議を申し入れた。だが、秀吉は信長に備中への出陣を請うており、その到着前に和睦を結べば信長のしかりを受ける。秀吉は和議の引き延ばしを図り、官兵衛に命じて「城兵の命は助けるが城主の清水宗治は切腹」の条件を突きつけた。輝元は家臣思いで知られ、こんな条件にはとても応じまい、と読んだのである。そのころ光秀は度重なる信長の仕打ちに耐えかね、ついに信長を討つと心に決していた。愛宕山で連歌の会を催した光秀は、「時は今あめが下しる五月哉」の一句に決意のほどをこめる。信長が中国出陣を前に100名ほどの供回りを従え、京の本能寺へ入った。光秀は斎藤利三ら家臣団を率いて愛宕権現に参拝し、庄兵衛が供えた母の位牌に心を込めて語りかける。「敵は本能寺にあり」。天正10(1582)年6月2日早暁、光秀の軍兵が水色桔梗の旗を翻して本能寺に迫るころ、秀吉はそれともしらず小一郎と高松城攻めの陣中にいる。

第30回 信長、死す

天正10(1582)年6月2日早暁、光秀の軍兵は本能寺に殺到した。信長は敵が光秀と知り、「是非に及ばず」と弓矢で応戦、弓の弦が切れると太刀を振るって奮闘する。信長の鬼神のような戦いぶりは明智の兵をたじろがせたが、やがて信長は炎と煙が巻く奥座敷で「人間五十年、下天の内をくらぶれば」と『敦盛』の一節を謡いつつ舞い、太刀で頚動脈をかき切り滝のように落ちる炎に包まれていく。秀吉は高松城水攻めで和議を勧め、城主の清水宗治が城兵5000人の命を救うため切腹するとの条件で毛利と折り合い、一安心していた。だが光秀の切迫した心を知る三成は信長の異変を予想し、一刻も早い和議を、と気をもむ。光秀が本能寺の焼け跡で宗易の茶をめでるころ、坂本城のひろ子は明智秀満に長浜城を討てと命じたが、おねはいち早く一族を率い、城を脱出した。6月3日深夜、秀吉のもとに信長死すの悲報が届いた。「ウソじゃ!ウソじゃ!」秀吉は狂ったように泣き叫ぶ。

第31回 天下への道

高松城を水攻めにしていた秀吉のもとに、本能寺にて信長死す、の報が入った。秀吉は子どものように泣き叫ぶが、信長の死が伝われば毛利方は一転して反撃に出ることは明らかだ。秀吉は和議を早める一方で、光秀を打つための策を進めていく。そのころ、近江長浜城を抜け出し伊吹山の寺に潜んでいたおねやなかたちは、米俵を背負い訪れた竹阿弥と再会を喜んでいた。高松城主・清水宗治が城兵を救うため潔く切腹するのを見届けると、秀吉は速やかに毛利との和議を調えた。その場に現れた足利義昭は信長の死を知り、狂ったように笑ったあと、地べたに伏して泣く。天正10(1582)年6月5日の夜、三成が兵糧や武具、鉄砲、弾薬などを荷駄に組んで先駆けし、羽柴軍は軽装で撤退を開始する。世に言う中国大返しだ。先頭をきって走り出した秀吉の脳裏に、一瞬信長の姿が浮かんだ。秀吉は「おやかた様!」と大声で叫び、降りしきる雨に構わず走り続ける。

第32回 夢を継ぐ者

天正10(1582)年6月6日、秀吉は反逆者、光秀を討つため、毛利の反撃をかわし京都に向けて退却を開始した。秀吉は光秀の知略を恐れていたが、小一郎は「上げ潮じゃあ」と雨中に叫び、秀吉と軍兵を励ます。そのころ光秀は安土城を占拠していたが、頼みにしていた細川藤孝父子が合力を断ってきたと聞き、さすがに暗然となっている。7日、秀吉は姫路城に到着し、湯殿に身を休めた。三成が泥だらけのまま姿を現し、光秀を討つ大義を掲げなければ勝利はないと直言した。脳裏に父と仰いだ信長との触れ合いが次々と浮かび、秀吉は叫ぶ。「おれの大義は弔い合戦よ。光秀の首を取り、おやかた様の御霊に捧げねばならぬ」秀吉は金銀のすべてを兵に分け与え、無一文で天下布武の夢を継ぐと宣言し、小一郎や官兵衛、小六を感動させる。安土の光秀が羽柴軍の進攻の速さに恐怖を覚えるころ、秀吉は姫路城に将兵を集め大義のためには女こどもまで殺した信長のつらさが今こそわかったと語り「敵は明智光秀。名うての戦上手だが、この秀吉が勝つ!おれは日輪の子じゃ!」と大声で告げる。

第33回 光秀の首

京都に軍を返す秀吉は、摂津富田に到着。その陣中に頭を丸めた千宗易が現れ「あなた様の茶頭に」と願い出て秀吉を感激させる。一方、秀吉を迎え撃つべき光秀は早くも辞世を詠み、勇将・斎藤利三を暗然とさせている。丹羽長秀と合流した秀吉は「総大将は丹羽殿に」と発言するが、宗易の「秀吉殿の茶頭になるのは信長様の遺命」という言葉に、総大将は秀吉に決まる。そこへ五右衛門がおねから頼まれ、祝言のとき信長から贈られたマントを持参した。秀吉は利三軍との死闘に赴く小一郎に渡そうとするが、死を覚悟する小一郎は受け取らない。だが、山崎における天下分け目の合戦は、わずか2時間ほどで羽柴軍の勝利に帰した。光秀は小栗栖の竹林を敗走し、農民の竹やりにかかってあえなく落馬。追ってきた五右衛門とおたきに頼み、自分の首を妻・ひろ子に届けさせる。ひろ子は愛する夫の首を胸に抱き、湖に身を沈めていく。そのころ、光秀の影武者の首が秀吉のもとに届けられた。秀吉は偽首と知りながら、光秀の最期を思い「明智光秀殿の首じゃ」と涙を流す。

第34回 女の天下獲り

秀吉は中国大返しに続く山崎の合戦で光秀を討ち果たし、威風堂々と清洲城に入った。得意顔の秀吉に、なかとおねは「こういうときに怖ろしいのは、人様の焼もち」と言い、天下を取るためには今は頭を低くしろ、と忠告する。信長の次男・北畠信雄と三男の神戸信孝、筆頭家老の柴田勝家をはじめとする重臣たちが集まり、織田家の跡目を決める評定が始まった。その席に、毬を追って茶々が姿を見せ「サル殿は明智討ちをいたされた、サル殿の天下じゃ」と笑い、秀吉はじめ一同は唖然とする。信雄と信孝が対立したが、丹羽長秀の強い推挙で信長の長男・信忠の子、3歳の三法師が跡目を継ぎ、秀吉が後見人の親と決まる。秀吉が三法師を抱いて立ち、小一郎が「信長様の正しき跡目にて三法師様でござる」と叫ぶと、皆は秀吉を拝する形で平伏する。ただ利家だけは「策を弄したな」と軽蔑した目をむけ、席を立ってしまう。秀吉はひそかに長秀に支援を頼むなどの策を弄した。しかし、評定の最中に三法師をサルのおもちゃであやしていたなかや、最後に三法師を秀吉に抱かせたおねなど、秀吉一家の女たちの陰の助力が大きかった。小一郎はじめ、三成、官兵衛、小六ら、家臣団の団結力もあった。秀吉の目には遠い日の信長の姿が浮かぶ。

第35回 美しき刺客

秀吉に激しい対立感を抱く勝家は、利家を使者とし、和睦か戦いかと秀吉に迫った。利家は勝家の与力大名であり、長く友情を交わしてきた秀吉との間で苦悩する。勝家は越前・北ノ庄城に妻としてお市を迎え、「サルなど何ほどのことやある、雪解けを待ち全軍をもって攻めつぶしてくれる」と意気を上げていた。が、利家の姿を見たおまつが、秀吉と勝家の戦いをみかんのふさで占うと、「勝者は秀吉」と出る。天正11(1583)年4月20日、羽柴・柴田両軍はついに賤ヶ岳に対戦した。小一郎秀長を主力とする羽柴軍に、柴田の勇将・佐久間盛政の軍勢が猛然と襲いかかるが、利家は秀吉との友情を思い涙を飲んで府中城へ退く。ために柴田軍は敗れ、勝家は北ノ庄城へ逃れた。秀吉は単身で府中城へ乗り込み、勝家への義と秀吉への信に挟まれ、死を覚悟していた利家に、「前田様は終生の友」と語った。感激した利家は秀吉の味方となる。北ノ庄城ではお市が、茶々に「サルを殺してしまえ。お前の美しき刃にて刺し貫き、羽柴の家を傾けさせよ」と言い置き、勝家とともに従容と自害していく。秀吉は秀長、三成と北ノ庄城へ入り、美しく成長した茶々と対面する。

ひまわりネットワーク株式会社 〒471-0061 愛知県豊田市若草町3丁目32番地8
© Himawari Network. All rights reserved.
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