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【ひまわり時代劇】秀吉

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ひまわり11
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(月)・(木)更新

© NHK

番組紹介

平均視聴率 30.5% の大ヒット作!

時は群雄割拠の戦国時代。天下統一は武将たちの見果てぬ夢だった。その夢を実現した男、豊臣秀吉。尾張の貧しい農民の子として生まれた秀吉が、織田信長の足軽から一国一城の主となり、ついには天下人にまで上りつめる出世物語を現代の視点から再解釈した“サラリーマン太閤記”。

出演

竹中直人、沢口靖子、市原悦子、高嶋政伸、村上弘明、有森也実、野際陽子、赤井英和、古谷一行、伊武雅刀、大仁田厚、渡辺徹、真田広之、西村雅彦、玉置浩二、財津一郎、仲代達矢、渡哲也 ほか

放送スケジュール 

★番組内容更新

都合により放送時間が変更になる場合があります。

あらすじ

第1回 太陽の子

天文22(1553)年夏、主人の金を盗まれてさすらう身となった日吉は、仕官の道を求めて流浪する明智光秀と出会った。折りしも織田信長と斎藤道三が正徳寺で会見し、日吉は光秀とともに樹上からその模様を望む機会を得た。うつけの異名など露ほどもうかがわせず、鉄砲の威力を示して堂々たる信長の武将ぶりに、日吉は大いに驚き感服する。 尾張・中村郷の実家には、義父竹阿弥と実母なか、弟の小竹、姉とも、妹さとたちが田畑を耕し、つつましく暮らしていた。日吉は今の惨めな姿を見せたくなく、近くまできていながら立ち寄らなかった。「夢、捨てねえ」と旅寝を重ねていた日吉は、木曽川流域に勢力を張る豪族の頭領、蜂須賀小六に気に入られ、信長の側室吉乃の屋敷に連れてこられた。そこで日吉は、信長の長男奇妙丸や前田犬千代たちに「猿!」「猿!」とからかわれながらも、信長の深く大きな度量に触れる機会を増やしていくのだった。弘治3(1557)年冬、日吉は信長の草履を懐で温めて小者頭に取り立てられ、意気揚々と実家に姿を現した。「おれは今に城持ち大名になる」と言う日吉を家族は皆で笑う。帰路、幼友達のがんまくに会った日吉は、唆されて入浴中のお市を清洲城内にのぞきに行き、運命の女性であるおねに見つかってしまう。

第2回 桶狭間の奇跡

日吉に盗みの疑いがかけられた。信長の眼力で真犯人がわかったが、犬千代は日吉に罪を着せようとした犯人を、信長の制止をきかずに斬ってしまった。犬千代は信長の怒りをかって出仕停止を命じられ、おねとの婚約も破談になった。おねに熱い思いを寄せる日吉は、複雑で微妙な心境であった。信長は尾張統一を果たしたのち、今川勢との一戦を覚悟したが、柴田勝家や丹羽長秀ら重臣はその無謀を案じていた。光秀は今川義元に仕官の道を求めたが、義元の人物に失望し流浪を続けた。永禄3(1560)年5月、義元は3万の大軍を率い、京に向けて出陣した。その途上にある清洲城では籠城を主張する勝家らに対し、信長は評定も開かない。「織田家も終わりじゃ」と重臣たちは嘆くが、日吉は乗馬を苦手とする義元の進軍は遅いと分析し、家中ひとり主君の必勝を信じた。やがて単騎で城を打って出る信長のあとを追い、日吉は「信長様、ご出陣!」と大音声で叫び駆けていく。雷雨の中、日吉は桶狭間で奮戦した。一方今川勢についたがんまくは傷つき、泥田に倒れてしまった。日吉は大勝利の織田軍に交じり、意気揚々と凱旋する。

第3回 運命の花嫁

桶狭間の決戦での論功行賞で、日吉は情報を重視する信長の新しい戦法を知った。一方、敵の首を二つも取りながら帰参を許されなかった前田犬千代は、日吉の情愛と機知あふれる励ましに感動、涙を流す。信長は日吉をおねの養父、浅野又右衛門の配下とし、小者頭から足軽に取り立てた。「あと3年で侍大将になりますから」と日吉から求婚されたおねは「猿殿にこの私が魅かれるとお思いか」と悔しがった。しかし、その胸の奥には、自分でも気づかない日吉を想う心が揺れていた。おまつが犬千代と婚約し、おねが日吉を意識し始めたころ、美濃では明智光秀が斎藤龍興の誘いを断り、刺客に狙われてた。竹中半兵衛の助けで光秀と妻ひろ子らは越前へ逃れる。盆踊りの夜、日吉は蛍の明滅の中でおねと結ばれ、やがてあばら小屋同然の新居で挙式した。中村の日吉の実家から弟の小竹が駆けつけ、信長も愛用の南蛮物のマントを贈って祝った。この日、信長は日吉に、木下藤吉郎秀吉の名を与える。

第4回 黄金兄弟

清洲城の崩れた石垣を3日間で修復すると大言したものの、秀吉には工事を急がせるための資金などない。思案しながら家に帰る途中、秀吉は旅の男と茶わんを競り合っている小竹に出会う。旅の男に関心を持つ小竹に、秀吉は普請の手助けを頼む。秀吉の仕事にかける熱情と真剣さに打たれたおねは大事な祝言の祝い金を夫に提供した。小竹も兄に協力し、頭領と職人を料亭に招き、早く工事を終えた組には報奨金をはずむことで、工事への意欲を高めることに成功した。この「競争の心理」を導入した方法で、秀吉は「三日普請」を見事にやり遂げた。おねはおまつとともに工事現場の炊き出しに精を出したり、秀吉のためにお市に銭をねだったりするなど内助の功を尽くす。秀吉は「小竹様はお侍になると必ずよいお仕事をなさいます」というおねの助言に従い、手下の足軽たちを引き連れて中村の実家に小竹を迎えに行った。後を追うようにおねが姿を現し、秀吉が普請の成功によって足軽組頭の身になったことを知らせる。それを聞いたなかは秀吉の夢が実現していくことを予感し、小竹にその支えになってくれと頼む。この日から小竹は小一郎と名乗り、秀吉にとり生涯最高の補佐役として生きることになる。永禄7(1564)年冬、信長の命で蜂須賀小六を訪ねた秀吉の前に、石川五右衛門と名を変えたがんまくが現れる。

第5回 男の値段

秀吉は、信長の命で蜂須賀小六とその一派の川並衆を味方につけるべく、説得に赴いた。そこには石川五右衛門と名を変えたがんまくがいて、信長嫌いの小六は五右衛門に秀吉を斬らせようとした。だが、折から竹中半兵衛が主君斎藤龍興の短慮を戒めて稲葉山城を奪ったとの報が入り秀吉は危機を逃れ、かえって五右衛門の案内で、すでに隠棲していた半兵衛の草庵を訪ねることができた。半兵衛は秀吉の人物を見抜き、美濃攻略の秘策として要衡の墨俣に城をつくることを教えた。秀吉は勇み、これを信長に報告する。秀吉は生駒屋敷で明智光秀と再会し、やがて天下に号令するのは信長様だと予見し合った。が光秀は4000貫の高祿を示されながらも信長への仕官を断る。墨俣築城を語る秀吉に小一郎は、重臣たちが失敗した後にしろと忠告。その予見どおり柴田勝家や佐久間信盛の築城は、美濃勢の抵抗の前に失敗する。ここにきて秀吉は、やおら「猿めなら一夜で城を建てまする」と提案、直ちに小六のもとに向かった。秀吉の命をかけた説得に、川並衆はついに味方につく。

第6回 一夜城

秀吉は墨俣の一夜城築城のため蜂須賀小六らを配下にしたが、おねが守る家には一粒の米もない。金策に出た小一郎は、露店で千宗易と会い、連れ立って帰ってきた。秀吉は信長から「東美濃の地で2000貫加増」の書状を与えられる。それを信長の信頼と読み取った秀吉は感激した。そんな秀吉に、宗易は信長と同じく将来の期待を寄せる。犬千代は出仕停止の身ながら、木曽川上流の山中に入って秀吉に力を貸した。秀吉は酒と女で人夫たちを励まし、小六らには2000貫の褒賞を約束、作業現場はにわかに活気づいた。5万本の材木が切り出され、嵐と夜陰に乗じて流された材木は、墨俣でたちまち城へと組み上げられていく。一夜のうちに浮かび上がった城を遠望し、竹中半兵衛は「美濃は終わった」と嘆じる。美濃兵の襲来は信長軍が退け、土塁も築かれて城は完成した。五右衛門は知り合った遊女おたきと一夜城を望み、秀吉の活躍をねたましく思う。秀吉は許しもなく馬印を上げて信長の不興をかい、築城の褒美は茶入れのなつめ一つだけ。失望した小一郎は中村へ帰ると言い、秀吉は「人が働くのは、銭より夢のためだ」と諭す。おまつから褒美がなつめだけと聞いたおねは、信長の茶への深い思いとなつめの価値を語り、肩を落として帰ってきた秀吉を温かく迎え励ます。そのころ、越前の明智光秀は足利義昭に拝し、信長との橋渡しをせよと頼まれていた。

第7回 妻の秘密

墨俣に一夜で城を築き、名を上げた秀吉は早朝、信長に呼び出された。おねから妊娠を告げられ、喜びを胸に登城した秀吉は、竹中半兵衛を味方につけるよう命じられた。無用の流血を避けて美濃を攻略するには、半兵衛の力が必要との信長の判断からであった。信長は千宗易に茶をたてさせてふるまい、「お前が死んだら、おねの子はわしの子にしてくれる」と危地に赴く秀吉を励ました。秀吉は死を覚悟して僧に変装し、墨俣築城後は士気が衰えたとはいえ、なお危険極まりない敵地へ潜入した。半兵衛の草庵を訪れた秀吉は、たちまち追い返された。しかし、幾たび門前払いを食わされても、「人は人のために生きてこそ人なり、闇夜に灯をともすが人の仕事なり」と、経文のように唱えて説く秀吉に、半兵衛の心はしだいに傾斜していく。わが子光秀に天下を取らせるべく、半兵衛獲得を試みていた美も、秀吉の不思議な魅力の前に、自分の敗北を予見するのだった。半兵衛はついに秀吉に頭を下げ、「信長ではなくあなた様に仕えましょう」と言う。信長にその功を賞され、勇んで帰宅した秀吉に、おねは笑顔で「やや子は間違いでござりました」と告げた。秀吉の留守中、おねは流産して二度と子の産めぬ体となっていたのだ。悲しい秘密を押し隠して夫を迎えるおねを、小一郎はつらい思いで見つめた。秀吉は「また作る楽しみもある」と笑い、小一郎が実家から持ち帰った亡き父の槍を振る。

第8回 知らぬ顔の半兵衛

秀吉に仕えることになった竹中半兵衛が、ようやく墨俣城に入った。永禄10(1567)年正月過ぎのことである。そのころ、後に秀吉最大の好敵手となる明智光秀は越前朝倉家にあり、母の美、妻ひろ子とともに世に出る機会をうかがっていた。半年がたち、夏となった。斎藤家の重臣、美濃三人衆を寝返らせることが急務なのに、半兵衛は動こうとしない。信長からきつい叱責の書状が秀吉に届くが、「まだ早い」と半兵衛は悠然としている。そこに五右衛門が訪ねてきて、家来にしてくれと言う。半兵衛は怪しみ疑うが、秀吉は五右衛門の頼みを聞き入れ小一郎に預けた。その夜、半兵衛は突如姿を消し、秀吉はそれを知らず自宅へ帰り、おねに会った。折からともが子を出産し、秀吉の家を訪ねていた。子を産めぬ体のおねは寂しさを訴える。秀吉が五右衛門と遊女おたきと酒を飲んでいるとき、半兵衛が美濃三人衆と軍兵を率いて通るのを見た。飛び込んできた小一郎は五右衛門が斎藤方の間者であると知り、五右衛門を斬る。美濃三人衆の抜けた稲葉山城は織田勢の攻撃の前に落城。秀吉は2500貫の侍大将となった。だが足利義昭と対面した信長は仲介の労をとった光秀に4000貫の知行を与え、秀吉は面白くない。

第9回 猿のかく乱

秀吉は腹の虫が治まらない。信長は足利義昭を引き合わせただけで、光秀に4000貫もの知行を与えたのだ。だが、おねは家来を奮起させるための信長の手だと忠告する。あわてて登城した秀吉に、信長は近江の大名・浅井長政に嫁ぐお市の護衛役を命じた。秀吉と介添え役の柴田勝家とともに浅井の居城・小谷城に入ったお市は、長政のさわやかな武将ぶりに頬を染める。永禄11(1568)年、信長は義昭を奉じて上洛。義昭は征夷大将軍に任ぜられた。光秀は前将軍暗殺の首謀者、松永久秀を降伏させ、その証として茶入れの名器“九十九髪”を信長に献上させる。茶道具に目のない信長は喜び、光秀に京都奉行を命じたが、秀吉もほかの重臣とともに奉行の役に就くことになった。岐阜に残るおねは「京の都と秀吉殿は水と油」と心配するが、半兵衛は信長の人事は絶妙だと笑う。おねは秀吉にあてて「光秀殿に負けるな!」と励ましの手紙を送る。おねの心配どおり、秀吉は京の公家相手の仕事に苦戦。ついに神経性の胃かいようになり、食事ものどを通らなくなってしまう。そんな秀吉を支えるのは光秀への激しいライバル意識だ。

ひまわりネットワーク株式会社 〒471-0061 愛知県豊田市若草町3丁目32番地8
© Himawari Network. All rights reserved.
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