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【ひまわり時代劇】大河ドラマ 秀吉

番組案内

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ひまわり11
放送スケジュール
(月)・(木)更新

© NHK

番組紹介

平均視聴率 30.5% の大ヒット作!

時は群雄割拠の戦国時代。天下統一は武将たちの見果てぬ夢だった。その夢を実現した男、豊臣秀吉。尾張の貧しい農民の子として生まれた秀吉が、織田信長の足軽から一国一城の主となり、ついには天下人にまで上りつめる出世物語を現代の視点から再解釈した“サラリーマン太閤記”。

出演

竹中直人、沢口靖子、市原悦子、高嶋政伸、村上弘明、有森也実、野際陽子、赤井英和、古谷一行、伊武雅刀、大仁田厚、渡辺徹、真田広之、西村雅彦、玉置浩二、財津一郎、仲代達矢、渡哲也 ほか

放送スケジュール 

★番組内容更新

都合により放送時間が変更になる場合があります。

あらすじ

第17回 かあちゃんと母御前

秀吉は琵琶湖に臨む今浜に居城を完成、長浜城と名づけた。その後、越前に一向一揆攻撃の先鋒として戦果を上げたが、これ以上女子どもを殺すに忍びないと陣中で口走り、信長の凍るような怒りに触れた。秀吉は播磨攻略に役立とうと、策士の小寺官兵衛を紹介するが、信長は秀吉には会おうとしない。秀吉は小一郎を堺の千宗易のもとへやり、宗易を通じて信長の意向を探ろうとまでする。天正3(1575)年11月、信長は従三位権大納言・右大将に任じられ、家督を長男・信忠に譲った。信忠は秀吉をとりなすが、信長は秀吉が勝手に播磨攻略を進めたと不快がり、光秀には重要は丹波攻めを命じ、安土城建設でも築城に詳しい光秀を重用した。信長から冷たく銭集めを命じられ、秀吉は焦る。光秀は丹波攻めに失敗したが信長はとがめず、光秀の坂本城に休憩、長浜城で待機していた秀吉は失望落胆する。だが、なかに励まされて挨拶に参上した秀吉は、なかの田植え歌に合わせ奇抜な衣装で踊りを披露。母と子のひたすらな歓待に信長は笑みを見せ、秀吉を許す。一方、美はわが子に寝返りを勧めにきた毛利方の使者を斬り殺し、血を浴びた姿で信長の前に現れる。かあちゃんと母御前、子を思う同じ母の姿だった。

第18回 切腹命令

天正5(1577)年夏、秀吉は上杉謙信と戦うため越前にいた。しかし、軍議の場で総大将の柴田勝家と衝突し、勝手に戦列を離れてしまう。軍規に厳しい信長は激怒、秀吉を斬ろうとする。が、秀吉の子、秀勝が急死するという出来事があり、秀吉は帰城して沙汰を待つ身となった。悲しみの中、深い謹慎の意を表す秀吉だが、信長は許さず、前田利家を使者として切腹を命じた。利家が長浜城に入ったころ、五右衛門がおたきと子・りゅうを連れ姿を見せた。切腹を覚悟する秀吉に五右衛門は「笑い飛ばせ、酔っ払って笑い飛ばすしかねえ」と笑い励ます。秀吉は五右衛門やおたきにはやされながら泥酔して利家の前に現れ、やがて利家もともに大いに酔う。深夜おねは安土城に信長を訪ね、女の操をかけて夫の命ごいをした。秀吉が酔って大騒ぎをしていると聞き、信長は「しかたない奴らだ」と苦笑し風のように長浜城に入った。信長は四男の於次丸を与え、秀吉を許す。

第19回 父の家出

天正5(1577)年10月、秀吉は信貴山城に反旗を上げた松永久秀を討ち、その功で織田家中一の武将として朱傘を許され、毛利攻めの総大将を命じられた。直ちに播磨の姫路城に入った秀吉は、小寺官兵衛から備前、美作の領主宇喜多直家の正室・お福、三木城主・別所長治に引き合わされた。懐疑的な視線を向ける長治に対し、秀吉は打ち解けた態度で接する。小一郎は堺を訪れ、豪商の三男・小西弥九郎から、播磨平定の折の商業権を先取りの担保とし、毛利攻めの莫大な軍資金を調達、すぐれた財政手腕を発揮する。秀吉は瞬く間に播磨の諸城を攻略したが、信長は中国最大の敵・毛利輝元を誘い出す作戦を取り、秀吉に引き揚げを命じた。「頼む、お前以外に残せる者がない」と秀吉は苦慮の末に言い、小一郎と半兵衛にわずかな兵を残し、敵地に孤立する姫路城をあとにする。帰途、秀吉は安土城に寄り、播磨攻めの褒美として乙御前の茶釜を与えられた。しかし、長浜城に戻った秀吉を、竹阿弥は「血を分けた弟を見殺しにするのか」と責め、雪の中を中村へと帰っていく。秀吉のために残り夫を見送るなかの姿に、秀吉の胸は痛む。

第20回 軍師の条件

天正6(1578)年春、秀吉は1万余の軍を率いて播磨を目指した。信長にとって中国最大の敵・毛利輝元が播磨に向けて動き始めたからである。秀吉は姫路・書写山の本陣で尼子勝久、山中鹿介主従と会い、彼らが失った上月城を取り戻すと語った。だが、小寺官兵衛は「戦に情けは無用」と上月城を捨て、三木城の別所長治を討つ作戦を進言。また、堺の商人・小西弥九郎の手で備前・宇喜多直家の妻・お福を陣中に運び、お福を通じ直家を味方につける策をめぐらす。尼子衆の上月城奪回は成功し直家も中立を守ったが、5万の毛利勢に秀吉は苦戦、信長は嫡男・信忠を総大将に援軍を送った。風前のともし火の上月城を前に、「尼子衆は見捨てよ」と信忠は父の命を伝えたが、半兵衛は「優しさこそ人の道、尼子を見捨てるな」と説く。秀吉は信長に上月城救出を請うたが許されずうなだれて長浜城に帰った。秀吉はおねとなかの明るい声を立ち聞きし、やっと笑顔で「がんばるぞ」とつぶやく。

第21回 命の重さ

播磨の秀吉に、有岡城の荒木村重謀反の報が届いた。事実なら秀吉は前に毛利、背後に村重につかれ袋のねずみとなる。半兵衛は官兵衛を有岡城に送り、事の真偽を確かめさせたが、官兵衛は行ったきり戻らず、ともに謀反に走ったかと疑われた。信長は怒り、秀吉が人質として長浜城に預かっている官兵衛の子の松寿丸を斬れ、と命じた。信長の命令は絶対だ。秀吉は従うよりほかにない。だが、なかは半兵衛と謀って松寿丸を五右衛門宅に隠し、「秀吉殿には決して手を汚させませぬ」という半兵衛の言葉を伝える。半兵衛は信長に松寿丸の偽首を見せ、秀吉の責を果たそうとした。余命短い半兵衛の心中を察し、信長はあえて偽首を検分しようとはしない。秀吉は松寿丸を斬らなかったことを詫び、松寿丸の助命を願って腹を切ろうとした。信長はひたむきな秀吉の態度を喜び、笑って許す。小一郎の頼みで五右衛門は有岡城に忍び入り、官兵衛は裏切ったのではなく、土牢に入れられ苦しむ身であることを探ってきた。信長は官兵衛と松寿丸の無事を喜び、秀吉は有岡城近くの丘から土牢に叫ぶ。「官兵衛!松寿丸は無事じゃ!」

第22回 母御前、はりつけ

秀吉が毛利攻めの報告に安土城に赴くと、中庭に信長の御神体と記した石が置いてある。秀吉ら重臣は素直に石を拝したが、光秀だけは頭を下げず、自信満々で今後の天下統一への作戦を進言した。信長は「さすがに光秀じゃ」と笑い、織田全軍による丹波総攻撃の命を発した。秀吉は信長の光秀への信頼の深さを思うが、千宗易は信長が内心では光秀の慢心を怒っていると察する。美は光秀の忠誠心のあかしを示そうとし、波多野秀治がこもる丹波の八上城に、死を覚悟して人質に入ろうと決心する。丹波総攻撃に際し、信長は八上城兵の皆殺しを命じた。だが光秀はその命令が届く前にすでに美を八上城に送り、京の二条城における信長と秀治の和議の席を整えていた。秀吉は美の身を案じて二条城に急いだが、信長は光秀が勝手に和議を進めたと怒って秀治を斬り、青ざめる光秀に「直ちに丹波へ戻り波多野を皆殺しにいたせ」と命じた。「おやかた様は鬼じゃ!」と秀吉は叫ぶが、やがて八上城では、美がはりつけとなる。

第23回 半兵衛の死

信長が和議を認めず、八上城の波多野秀治を斬ったため、怒った城兵は人質の美をはりつけにした。美は救出に駆けつけた秀吉や光秀の目の前で、光秀が天下を取ることを願いながら、敵兵の槍で何度も胸を刺され、無残な死を遂げる。美を見殺しにした信長はさすがに胸を痛め、「光秀、すまぬ」と謝るが、あまりにも冷静な光秀の態度に不快の色を見せ、扇で血が流れるほどに光秀の額を打ちすえる。悔やみに坂本城を訪れたなかに、光秀が変わらぬ信長への忠誠を語っているころ、秀吉は中国攻めで播磨にあった。宇喜多の恭順を聞いて喜ぶ秀吉の前に、突然おねが半兵衛に付き添って姿を現した。半兵衛は死期を知り永の別れを告げに来たのである。「優しいお人で生涯をまっとうし、天下をお取りなされ、おね様を大切に」の言葉を残し、半兵衛は三木城近くの陣で静かに息をひきとる。秀吉は、天下万民の将となる心得を説く半兵衛の遺言を読み、「ありがとうございました」と深々と頭を垂れる。

第24回 左遷寸前

秀吉が播磨から安土へ戻り、信長に命がけで対面した。信長は先に光秀の母を見殺しにし、いま信長を兄と思う家康の妻と嫡男を、武田に内通した廉で当の家康に殺させようとしている。秀吉はその冷酷非情を命がけで諫め、また、備前50万石の領土の保全を条件に、無断で宇喜多直家を味方につけ、許しを請うたのだった。信長はまんじゅうを太刀先に刺し、突きつけるほどに怒り「秀吉、しばらく顔を見とうない」と不快を表す。長浜城に今や大泥棒となった五右衛門が姿を見せ、家康に不穏の動きがあるとの情報をもたらした。だが家康は本多正信の忠告を入れ無念の気持をおし隠して、妻・築山殿と嫡男・信康を殺す。小一郎と小六の進言で、秀吉は攻めあぐんでいた三木城を兵糧攻めで落とし、さらに有岡城を攻略、1年以上も土牢に苦しんでいた小寺官兵衛を救出した。官兵衛は見るも無残な体になりながらも「死ぬまでご奉公!」と悲痛な声で忠誠心を表す。前に官兵衛を疑い松寿丸を殺せと命じた信長は、官兵衛の無事を喜び、秀吉にも笑顔を見せた。秀吉は地の果てまでも信長にお供すると叫び、世界地図屏風の前で踊る。

第25回 温泉に行きたく候

秀吉の長期にわたる播磨攻めの功に対し、信長はおねを伴って有馬の湯で休養せよと命じ、その労をねぎらった。おねは胸を躍らせて旅の支度を整えるが、折から安土城内の不穏な動きが伝わってきた。光秀の母を見殺しにし、信長を兄と慕う家康の妻や嫡男を殺させるなど、近ごろ常軌を逸した信長を追放しようとの企てが、重臣らによって進められているというのだ。前田利家から林佐渡守や佐久間信盛らの企てを明かされた秀吉は、有馬行きをやめて事の収拾に動こうとするが、なかに「安土には行くな、おねと有馬に行け。信長様は織田家の雑草を刈り取るため、わざと重臣たちの企てに気づかぬふりをされている」と諭され、大喜びのおねと有馬へと向かう。秀吉は湯の中でも食事中でも居眠りばかりしておねを怒らせるが、そこに信盛が訪ねてきた。ともに信長退陣に動こうと説く信盛に、おねは初めて秀吉からもらった古い綸子の着物を見せ、しみじみと秀吉の愛と信長の恩の深さを語り、信盛の誘いを断る。信盛が心打たれて去ったあと、寝たふりをしていた秀吉の目には熱い涙があふれる。

第26回 史上最大のお歳暮

今や秀吉は近江、播磨、但馬など120万石を領する大身となり、多忙を極めていた。そのころ吉乃が病み、信長は常にない心痛ぶりを見せ、千宗易の黒茶わんをたたき割るほど気持が高ぶる。信長が吉乃を背負って安土城の天守に登り、琵琶湖の眺めを望ませていると、秀吉が南蛮渡来の薬を届けに現れた。「初めて夫におぶってもらいました」と微笑む吉乃に胸のつまる思いの秀吉だった。信長は自ら仏像を刻み、死の床にある吉乃に手渡した。「あなた様の妻でござりまする。み仏の加護などとうにほうっておりまする」吉乃はそう言って仏像を投げ捨て、息絶える。信長はしばしぼう然となるが、遺言により葬儀は行わぬとし、心配顔のおねたちに下城を命ずる。秀吉は因幡で吉乃の死を知ると、安土城下の外れまで連なるほどの荷駄に、歳暮を山と積んで信長に拝した。それは、吉乃の長い恩顧を謝するとともに、信長の悲しみを慰めようとする心の表れだった。信長は秀吉を上座に招き、その頭をなで続ける。

ひまわりネットワーク株式会社 〒471-0061 愛知県豊田市若草町3丁目32番地8
© Himawari Network. All rights reserved.
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